食塩や肥満などの環境因子が食塩排泄性遺伝子WNK4遺伝子の転写活性を抑制し、高血圧を生じることを藤田敏郎氏らの研究チームが世界で初めて明らかにした。この研究結果は4月17日、米国の科学雑誌「Nature Medicine」のオンライン版に掲載された。本研究は「エピジェネティクス」と呼ばれる新しい研究分野で、「遺伝子配列は変えずに後天的な作用により遺伝子の形質変異によって疾病がもたらされる」という研究結果を、環境因子の影響が強い生活習慣病の発症においてエピジェネティクスとの関与を解明したのは世界で初めて。
以下、藤田氏とディスカッションした内容より、今回の研究結果の科学的な意義をまとめる。
ゲノムを解き明かせばすべてがわかる?
2003年4月にヒトゲノムプロジェクトの終了が宣言された。ヒトゲノムプロジェクトは、DNAの台本をすべて読み解くという画期的な情報をもたらしたが、いざそれを疾病の遺伝的要因に関連づけようとすると、DNAの書き損じによって説明できる疾病はほんの一握りであった。「ゲノムを解き明かせばすべてがわかる」と思いきや、ヒトゲノムの解読はエピジェネティクスの入り口でしかなかった。
環境因子による遺伝子の形質変化が疾病をもたらす! ―エピジェネティクス―
米国ではヒトゲノムプロジェクト終了後、「エピジェネティクス」という遺伝学に研究費の使途がいち早くシフトした。エピジェネティクスとは、後天的な修飾により遺伝子発現が制御されることに起因する遺伝学あるいは分子生物学の研究分野である。すなわち、エピジェネティクスは「食塩摂取、肥満、ストレスなどの環境因子が、遺伝子の配列ではなく、形質変異をもたらすことで、疾病を発症する」という概念を基盤としている。
現在、形質変異には次の2種が知られている。
1.DNA塩基のメチル化による遺伝子発現の変化
2.ヒストンの化学修飾による遺伝子発現の変化(ヒストンのメチル化、アセチル化、リン酸化など)
エピジェネティクスはがん研究分野で花盛り
「エピジェネティクス」は、これまでがん治療においてさかんに研究され、すでに治療に応用されている疾患もある。骨髄異形性症候群は、がん抑制遺伝子がメチル化されその働きを失うというエピジェネテイックな異常によって生じる。5-アザシチジンはDNAメチルトランスフェラーゼの阻害因子であり、2011年3月にわが国でも発売された。また、ヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)阻害剤ボリノスタットは2006年にFDAに認可され、皮膚T細胞性リンパ腫や他のがんの治療薬として使われている(本邦承認申請中)。
塩分の過剰摂取によって発症する高血圧では、遺伝子レベルで何が起こっているのか?
話は高血圧に戻る。塩分の過剰摂取が高血圧をきたすことは古くから知られている。しかし、塩分に対する血圧の反応性は個人差があり、塩分摂取によって血圧が鋭敏に上昇する塩分感受性者と、そうでない者が存在する。血圧の塩分感受性は遺伝的素因によって規定されるが、環境因子の影響も受ける。たとえば、肥満やメタボリックシンドロームを有する者は、塩分感受性者であることが多いと報告されている。
これらの塩分感受性高血圧患者では食塩摂取によって交感神経活性が亢進し、ナトリウム排泄が低下し、ナトリウムが体内に貯留することで血圧が上昇すると考えられている。
一方、治療抵抗性高血圧患者の腎交感神経アブレーションによって30mmHg以上の有意な降圧効果が認められた無作為化試験の結果が2010年12月にLancet誌に発表された。腎交感神経の活性化は本態性高血圧の重要な病因であり、その除神経によって治療効果が認められている。
しかし、なぜ、腎臓における交感神経活性の亢進が、ナトリウム排泄を低下させ、血圧を上昇させるのかについての詳細は解き明かされていなかった。
今回、藤田氏らの研究グループは、交感神経活性の亢進によって活性化されるβ2アドレナリン作動性受容体による刺激が、ヒストンのアセチル化を引き起こし、塩分排泄関連遺伝子「WNK4遺伝子」の発現を抑制することを発見した。WNK4遺伝子は腎臓の遠位尿細管のNa-Cl共輸送体(NCC)活性を抑制し、ナトリウム排泄を促すことは知られているため、WNK4遺伝子が抑制されることでナトリウムは体内に貯留する。
藤田氏らの研究によると、下記のメカニズムによって、交感神経活性の亢進がWNK4遺伝子の発現を抑制すると説明できる。
1.食塩摂取によって交感神経活性が亢進すると、ノルアドレナリンが放出され、β2アドレナリン作動性受容体が活性化される。
2.この刺激によってヒストン脱アセチル化酵素(HDAC8)がリン酸化し、ヒストンの脱アセチル化が阻害され、ヒストンアセチル化がもたらされる。
3.ヒストンアセチル化によってネガティブ糖質コルチコイド認識配列(nGRE)が刺激されると、nGREに遺伝子調節蛋白が作用しやすくなり、WNK4遺伝子の転写を抑制する。
通常、ヒストンアセチル化は遺伝子の転写活性を促進させるが、WNK4遺伝子の場合は抑制されていた。この謎を解明するのに研究グループは1.5年の歳月を費やしたという。研究グループはWNK4遺伝子の上流にあるプロモーター領域に、nGREが発現していることを発見した。nGREがヒストンアセチル化によって刺激されることで、nGREに遺伝子調節蛋白が作用しやすくなり、転写を抑制し、結果としてWNK4遺伝子を抑制することを見出した。
この研究結果は、腎臓学の側面から塩分過剰摂取による高血圧発症の新たな分子機構を解明したことに新規性があるだけでなく、遺伝学的な側面において、生活習慣病において食塩や肥満などの環境因子が塩分排泄性遺伝子WNK4遺伝子の転写活性を変えるという「エピジェネティクス」が関与しているということを世界で初めて発見したことに大きな成果があるといえる。
ヒストン修飾薬によって塩分感受性高血圧症の治癒も夢ではない
「基礎と臨床を繋ぐことが私たちの役目の一つでもある」と藤田氏は言う。塩分感受性の高血圧症では遺伝子レベルでヒストンのアセチル化が起こり、それがナトリウム排泄を促進させるWNK4遺伝子を抑制するのであれば、ヒストンのアセチル化を阻害する「ヒストン修飾薬」を創薬のターゲットとすれば良い。既に藤田氏らは、ラットに同薬を投与したところ、WNK4遺伝子の発現が抑制され、動脈圧が有意に低下した結果を得ている。
「このヒストン修飾が塩分貯留に特異的であるかはさらなる研究が必要であるが、ヒストン修飾薬によって塩分感受性高血圧症の治癒も夢ではない」と、藤田氏はヒストン修飾薬の開発によって高血圧治療を一変させることに大いなる期待を抱く。
(ケアネット 藤原 健次)