教授 尾﨑重之先生「弁膜症治療の歴史を変える「自己心膜を使用した大動脈弁形成術」」

公開日:2010/08/18

東邦大学医療センター大橋病院・心臓血管外科教授。防衛医科大学校卒。自衛隊医官、亀田総合病院、3年半ベルギー・ルーヴァン・カトリック大学留学、新東京病院、防衛医大病院に勤務後 03年より現職。「自己心膜を使用した大動脈弁形成術」を確立後、スーパードクターとして各メディアの注目を集めている。

患者さんへのリスクを下げ、QOLを上げる。それが「自己心膜を使用した大動脈弁形成術」

患者さんの平均年齢は70歳前後が多く、他病院で手術日程が決定しているにもかかわらず来院される方もいます。テレビなどのメディアで特集されるようになって以来、全国から患者さんが来院されるようになりました。最近では、糖尿病、膠原病も合併して患っている方が急増しています。

今現在、年間200~250症例、手術件数は、都内大学病院の中で第二位の数です。大動脈弁狭窄症に対する手術方法として「人工弁による大動脈弁置換術」がありますが、人工弁、つまり「異物」を自分の体内に入れることに抵抗を感じる患者さんは少なくありません。

また、人工弁を入れた場合、術後に拒絶反応を起こすリスクや、ワルファリンを服用するために食事制限や運動制限をする必要があります。また、人工弁は一つ数百万円するので経済的にもあまりよろしくはありません。

「自己心膜を使用した大動脈弁形成術」は、自分の体組織を使用して弁を形成する手術法です。当然拒絶反応はなく、ワルファリンを服用する必要もないので、従来の方法に比べて術後のリスクを下げQOLを上げることができます。全国から患者さんが集まる理由はここにあります。

動く臓器は美しく、私の心をとらえた!

防衛医科大学校は、当時としては珍しく、今の臨床研修制度のような全診療科をラウンドするシステムがありました。今だから言えますが、実は当時の私は血を見ることが苦手で、外科医になるなどもってのほかでした。しかし、心臓外科をラウンドした時、ピンク、橙、青、黄色と心臓の持つ色彩に目を奪われ、興味を持つようになりました。

心臓手術は他の臓器とは違い、臓器自体が動いたままで手術をするので緊迫感が尋常ではありません。そして当時の心臓手術は術後が安定せず、常に付き添い、状態の変化に臨機応変に対応せねばなりませんでした。手術だけでなく、術後の管理も含めて、全身全霊で命に向き合う心臓外科医の姿にすっかり魅了されてしまい、心臓外科医を目指すようになりました。

その後勤務した千葉・亀田総合病院で見た恩師の手術は、術後の患者さんの容態が非常に安定していました。術後の管理が難しかった時代でしたが、術前から術後までの治療過程の違いは歴然としていたのです。当時の勤務体制は4人しかおらず、上司二人は当直なしで、もう一人と交代勤務の当直で、今とは比べ物にならない大変厳しくきつい勤務でした。

しかし、苦しいことがあるとそれは後でよい経験となり、鍛錬となりました。人間はつい楽な方向へ流れて行こうとしますが、苦労は買ってでもして自分の経験とすれば、ステップアップにつながります。私はこういうことを繰り返してきたわけです。また、その後の海外留学で私は今の弁開発の基となる研究・臨床と出会い、心臓外科医としての人生に変化が出てきました。

ベルギー留学「研究・臨床」経験が研究開発へ導く

大学卒業後、勤務医を経験。その後、ご縁がありベルギーに3年半ほど留学しました。
学生時代一ヵ月ほど欧州を旅した時の印象があまりにもよく、そこでの生活を夢見て、学ぶのであれば米国より欧州と決めていました。治安が良く、美食、歴史的な建造物の街々、陸路に続く周辺各国も素晴らしく、人々の考え方が日本と違い大陸的で、民族の勉強にもなりました。

その反面、研究・臨床は容易ではなく、「苦労は買ってでもしなさい」という言葉を実践している日々でした。しかし、この留学中に私が理想とする心臓外科医と出会い、これが私にとっては将来の方向性を決定する大切な海外留学となりました。最初の1年は主に大動物での実験・研究に明け暮れて臨床までには至りませんでしたが、大動物での実験で実績を重ねることでこの師から絶大な信頼を得ることができ、2年目からは臨床への参加が認められました。

この師は、臨床で不明な点を大動物で実験・検証し、その結果を必ず臨床にフィードバックしていました。我々は臨床の中で多くのアイデアを見つけることができますが、それを形にすることはできません。しかし、医療系の工学研究所とコラボレートすることで、形にすることができるのです。そのことを彼から学ぶことができ、今後は医工連携を発展させることで、さらに前に進むことができると考えました。

この経験から帰国してすぐ早稲田大学理工学部(現・創造理工学部)の教授だった梅津先生を訪ね、医工連携を早々に実現し、現在も研究開発を両者で定期的に行っています。もし、この海外留学がなければ工学とのコラボも考えつきませんでした。

研究開発方法、理想的な師との出会い、海外留学は私にとって国内初「自己心膜を使用した大動脈弁形成術」の基になり、医師としての糧にもなっています。また、海外で生活していると、国内のようにすぐに解決できる状況ではありません。数日かけて解決に至ることもあり、流れている時間や環境がまるで違います。この時に忍耐力が養われたのだと思います。

今の若い方はあまり海外留学をしたがりませんが、是非海外で研究生活を送って経験を積んでください。その時の経験は必ず先のキャリアで役に立つことでしょう。そして、それは自分だけでなく患者さんのためになります。

患者さんの笑顔に報われて

心臓血管外科というのは、外科手術をすれば患者さんは治って日常生活・社会生活に復帰していくんですよ。来院されるまでは、心臓疾患ということで不安が大きかった患者さんが手術後に笑顔で退院されてお元気でいらっしゃるのは、この仕事をしていて報われるひと時です。

「自己心膜を使用した大動脈弁形成術」は当院だけではなく、全国の数施設で実際に行われる用になりましたが、更に多くの施設で行われることを望んでいます。そのためにもこの手術法の教育システムの確立も急務と考えています。今では、世界的評価を大きくいただくことができ、大変うれしく思っています。一人でも多くの患者さんの社会復帰と笑顔が増えてくれれば、こんなに嬉しいことはありません。

心臓血管外科は、努力すればするほど報われる診療科です。私の場合、海外生活での苦労、今まで知らなかった大学工学部とのコラボなどを取り入れた国内での研究、困難は多々ありました。しかし、その結果、私は自己心膜を使用した大動脈弁形成術を開発することができたのだと思います。やはり心臓血管外科を選択してよかったです。

これからも大学病院で研究開発を極める

私がここまで来るには、常に自分の進むべき道、どのようなスタイルの医師になりたいかを頭に描き、目標を高くかかげていました。また恩師たちの診察・手術スタイルが頭にあり、自分なりにそのスタイルを取り入れようと観察をしていました。心臓血管外科は、多忙が苦でなく手術が好きな人、ある程度高い目標を持てる人が向いていると思います。

心臓の手術で悪い弁を取れば新しい弁を作る、動脈瘤を取れば新しい動脈を作るというようにすべてが形成術なのです。形成術ゆえに芸術性が高く、自分で考えた創意工夫を取り入れることができ、手術のでき映えにワクワクできることも魅力の一つなのです。
そして、手術で元気になってもらえる、医師が努力すればするほど成果は患者さんの元気に表れます。

私を頼り、はるばる遠くから来院してくださる患者さんも多いので、私が頑張らないわけにはいきません。やりがいを感じますね。

私はこの世界でさらなるステップアップをしていきたいと考えています。現在、臨床で使用されている人工弁はすべてが外国製です。日本製は一つもありません。また、その人工弁は異物であり、大きさは変わりません。私は、トヨタのハイブリッドカーのように日本発の技術を世界に発信していきたいと思っています。今後、身体の成長に合わせて「成長する大動脈弁」の開発に力を入れていき、患者さんの身体にやさしい手術を心がけていきます。

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