現場の医師を守るために何が必要か~柳原病院事件

提供元:ケアネット

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公開日:2016/12/13

 

 11月27日、第7回医療法学シンポジウムが都内で開催された。シンポジウムでは、現在公判中の「柳原病院事件」を取り上げ、医療現場の日常を刑事司法でどのように取り扱うべきか、聴衆も参加し、シンポジストと議論が行われた。

※ 柳原病院事件とは、
「乳房切除術直後の患者(全身麻酔後)に対し、術後約30分後に行われた医師の診察時に医師が切除していない側の乳房にわいせつな行為をしたとして準強制わいせつ罪にて逮捕、勾留され、起訴された事件。病院は、術後せん妄による症状であり、せん妄状態にある患者の証言を頼りに現場の医師が逮捕されるのは不当であるとして抗議している」


医療現場で求められる適法行為の判断フレーム
 はじめに大磯 義一郎氏(浜松医科大学医療法学 教授/弁護士/医師)が、事件の概要を述べ、論点整理を行った。
 本事件の論点としてまず(1)事件が被告医師に与えた影響として、被告医師が実名報道されたことで、今後の診療活動などに多大な影響を与えるほか、長期間にわたる勾留により被告医師の心身への影響が懸念される。(2)逮捕・勾留について、刑事訴訟法の要件を提示しつつ、その必要性について疑問を呈したほか、将来無罪であったとしてもすでに個人に与えられた社会上の影響は甚大であり、そもそも初動捜査段階で医療の実情に即した、適切な対応がなされるべきではなかったかと疑問を提起した。

 次に(3)医療行為との相違については、わいせつ事件の典型である痴漢事件と比較。男性が女性に触れるという行為は、痴漢では違法行為である一方、医療では正当業務行為であり、そもそも本件の行為に痴漢の判断フレーム(たとえば被害者の供述のみで捜査など)を用いたことが不当であり、医療行為に合った判断フレームで行うべきだったと指摘する。

 次に(4)裁判上の事実と客観的事実については、起訴後の有罪率99.9%というわが国の刑事司法の現状において、被告人への無罪推定の原則(「有罪宣告を受けるまでは無罪と推定する」という近代法上の原則)の再認識を促すとともに、こと冤罪が多い痴漢事件などへ刑事司法の慎重な判断を要求した。

 最後に(5)本件が医療現場に及ぼす影響については、違法行為になってしまうのではないかという懸念から医療萎縮が起こり、最終的に患者の生命・健康を損ねることになると問題点を指摘し、適法行為ができるように類型された明確なルール作りが必要になると提案した。そのためにも類似の案件があった場合、有罪無罪の判断スキームの透明化が求められるが、その際、判断スキームは医療現場の実情を踏まえたものが求められる。今後は適切かつ明確な判断フレームについて、議論を深めていきたいと期待を寄せた。

術後せん妄が起こる仕組みと予防の可否
 続いて鈴木 宏昌氏(横浜医療センター 副院長/手術部長)が、「麻酔によるせん妄について」をテーマに、臨床現場におけるせん妄の実際について解説を行った。
 せん妄は、「意識低下を背景に、不安、興奮、妄想、幻覚などの認知機能障害や精神症状を呈する症候群。多くは可逆的で、数日から数週間で改善する。術後せん妄は麻酔や手術が契機になったものをいう」と定義されている(ただし、妄想、幻覚は典型的ではあるが特有ではない)。そして、せん妄は、過活動型と抑制型に大きく分けられ、発生率ではICU入室患者で多くみられる。また、危険因子として、アルコール乱用、高齢者、低栄養、脱水などが挙げられ、若年者のせん妄の多くが薬剤由来(麻酔薬)だという。

 今回の事件で病院より指摘されている麻酔覚醒時せん妄の危険因子としては、術前からのうつ状態やPTSD、睡眠薬などの薬物使用、アルコール乱用、小児・高齢者、乳腺外科や腹部外科手術、脱水などがある。
 とくに乳がん手術で特有な事象として、手術では侵襲度が低い代わりに皮膚切開が大きいこと、患者(女性が99%)の不安が大きく心理的負担が重いこと、審美性を考慮するため手術時間が長いこと、術中出血を抑えるためにアドレナリンの局注や血圧コントロールが行われることが列挙され、これらが麻酔覚醒時せん妄が多い原因となっている可能性があると示唆を述べた。
 まとめとして鈴木氏は、「術後せん妄の発生には、多くの要因が関わるため完全に防ぐことが難しい」と臨床現場の課題を説明した。

医療行為はわいせつか
 続いて、趙 誠峰氏(早稲田リーガルコモンズ法律事務所 弁護士)が「刑事司法について 痴漢冤罪事件から学ぶこと」と題し、解説を行った。
 医療現場の出来事が犯罪になるのは、医療行為そのもの(たとえば業務上過失致死など)と診療・検査などでの違法な出来事(たとえば準強制わいせつなど)に2分される。
 普通の強制わいせつであれば、行為そのものにわいせつ性があり、犯罪の端緒となるが、本件のように医療行為は行為自体がわいせつ性に直接結び付かないことから、わいせつ性を裏付ける別の証拠が必要(たとえば指紋、唾液、精液など)となるはずである。また、わいせつ性の判断にあたっては、その行為がルーチンから逸脱した行為だったか、TPOはふさわしいか、被害者(患者)の供述に信ぴょう性はあるかなどが、本来勘案されなければならないところに、通常のわいせつ事件と同じ判断で捜査がされてしまった点に問題があると指摘した。
 
パネルディスカッション
 パネルディスカッションでは、大磯氏が「現場の負担にならない解決策についてどう思うか」と水を向けると鈴木氏が「術後の患者の発言をいかに考えるか、医師は注意深く聞いておく必要がある。きちんと医師と患者の信頼構築がないと類似の事案が増えるかもしれない」と私見を寄せた。
 また、具体的な予防策として参加者から「実際には難しいかもしれないが、男性医師が女性患者を診療するときは看護師を同席させる」、「場合により録画や録音が必要だ」、「カルテや看護記録に診療の内容や発言内容をすぐに残しておく」などの提案が寄せられ、活発な議論が行われた。

(ケアネット 稲川 進)

参考サイト

 MediLegal 医療従事者のためのワンポイント・リーガルレッスン 
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