財団法人ときわ会 常磐病院
新村 浩明
2012年5月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行
※本記事は、MRIC by 医療ガバナンス学会より許可をいただき、同学会のメールマガジンで配信された記事を転載しております。
東日本大震災からすでに1年以上が経過しました。以前、この場をお借りして東日本大震災時の透析患者移送に関して報告させていただきました。(Vol.404 東日本大震災透析患者移送体験記 http://medg.jp/mt/2012/02/vol404.html)震災から1年を経過したのを機に、ときわ会グループのうち、震災時に透析移送にかかわった4施設(いわき泌尿器科、常磐病院、泉中央病院、富岡クリニック)において透析されていた方々のこの1年の経過をまとめてみましたのでここに報告したいと思います。
これら4施設において、この1年間で亡くなられた方は、津波による死亡が3名、震災の直接関係は不明ですが震災後1週以内に亡くなられた方が3名、震災1カ月以降、2012年3月までに亡くなられた方は50名いらっしゃいました。震災時の4施設の透析患者数は637名で、うち56名の死亡であったため、死亡率が8.8%となりました。これは、透析医学会から発表されている2010年の透析患者粗死亡率9.7%より低い数字でした。この結果は、東大日本大震災とういう激甚災害の苦難を乗り越えた患者集団としては十分満足できる数字であったと考えます。また、ややもすれば無謀とも非難されかねなかった透析患者集団移送が、適切な選択であったことが裏付けられたのではないかと考えています。
●ときわ会グループと透析患者集団移送
ときわ会グループは、いわき市を中心に透析と泌尿器疾患を中心に診療するグループで、1つの病院と6つの診療所、2つの介護老人保健施設からなっています。http://www.tokiwa.or.jp/
震災発生後の福島第一原発の事故により、富岡クリニックの患者及びスタッフは、緊急避難を強いられ、一部は福島県中通り地方から会津地方へと避難し、一部はいわき市に避難しました。いわき市に避難した富岡クリニックの患者は、いわき泌尿器科と常磐病院にて透析を行いました。前回報告したように、原発事故発生以降、いわき市内ではスタッフや医療物資、ガソリンの不足と断水によって、透析継続が困難となり、3月17日に、ときわ会グループ(いわき泌尿器科、常磐病院、泉中央クリニック、富岡クリニック)を含めたいわき市内の透析患者を、東京、新潟、千葉へ移送し透析を受けることとなりました。
●震災発生後の透析患者の行方
震災時、上記4施設で、総数637名の透析患者がおり、うち外来通院患者が532名、入院患者が68名でした。これらの患者のうち不幸にも津波で亡くなられた方が3名いらっしゃいました。また、集団移送まで間に3名の方が亡くなられました。これらの方々は震災以前より体調が悪かった方々でしたが、震災の影響によって透析が不十分であったり入院ケアが不十分であったことが死期を早めた可能性は否定できません。3月17日に集団移送した患者が428名(東京229名、新潟154名、鴨川市45名)で、これとは別に後日、22名(東京2名、横浜6名、埼玉14名)の方を移送しています。この移送とは別に、個人的に避難された方が230名で、避難されずにいわき市に残られた方が21名いらっしゃいました。
震災前より入院されていた方は、移送後も入院透析となりました。移送後、31名の方が新たに入院されました。その多くはADL低下による通院困難で入院となった方や震災前からの合併症の悪化による入院でした。移送後発生した疾病で入院となった例としては、1名が転倒により大腿骨骨折のため入院となり、1名は消化管出血のため入院となっています。
3月後半になると、水道や物流が復旧し、自主避難していたスタッフも戻ってきたため、いわき市で通常の透析ができる環境が整いました。そのため移送した透析患者は3月26日より順次、いわき市に戻りました。移送先で入院を継続していた方を除けば、4月23日までにはほとんどの透析患者がいわきに戻りました。
いわき市に戻ってからは、一部の患者で、特に富岡地区の方々は住居がないため、必要に応じて入院していただいたり、施設をお世話したりしました。自主避難した方で、2012年3月現在も、いわき市に戻らず他院で透析を受けてらっしゃる患者は183名(28.7%)でした。いわき市に戻られない方では、やはり富岡地区の透析患者が多く、郡山や会津地方に避難され透析を受けている場合が多いようでした。
●粗死亡率
集団移送後に現地で亡くなられた方は2名いらっしゃいました。移送後、いわきに戻ってきてから亡くなられた方が、現在までに30名いらっしゃいました。自主避難された方で亡くなられた方は14名、避難せず自宅より通院された方で亡くなられた方は4名でした。これらの死因のほとんどが、合併症が悪化し亡くなられたものでした。いわゆる震災関連による原因によって亡くなられた方はいらっしゃいませんでした。津波による死亡の3名、震災に直接関係は不明ですが震災1週以内に亡くなられた方の3名と合わせると、震災以降に亡くなられた方は計56名でした。震災時の4施設の透析患者数は637名で、うち56名の死亡となり、粗死亡率は8.8%となりました。この数字は、透析医学会から発表されている2010年の透析患者粗死亡率9.7%より低い値でした。http://docs.jsdt.or.jp/overview/pdf2011/p21.pdf
●現在のときわ会グループ 常磐病院透析センター開所
ご存知のように、福島県富岡町は福島第一原発事故の影響で警戒区域となっているため、同町にある富岡クリニックは現在も閉院したままです。同クリニックに通院していた透析患者は、県内のみならず様々な地域での避難生活を強いられており、その中でもいわき市に避難されている方々はときわ会グループの各施設で、透析を受けていただいています。
常磐病院では震災前から計画されていた、最新設備を備えた新透析センターが昨年の7月にオープンしています。100床の透析ベッドを備え、オンラインHDFの装置や全自動透析装置を装備しています。これは震災前より将来の透析患者の増加を想定し昨年4月開所の予定で計画していましたが、震災の影響で7月開所となりました。現在のいわき市では、上記の富岡町を含めた警戒区域の方々が多く避難されています。こうした避難されている方々にはもちろん透析患者も含まれており、安心の透析医療を最新の透析センターで―提供していくことがときわ会グループの使命と考えています。
●透析患者移送から1年を振り返り
前述したように、この1年のときわ会グループでの粗死亡率は、震災以前の透析患者の粗死亡率の全国平均と比較して十分低い数字でした。これは震災時の透析施行困難な状況での患者移送が、適切な選択であったことの証明であると考えます。しかし、震災時のストレスや不十分な透析、満足できない食事は、決して透析患者の生命予後によい方向には働かなかったであろうと容易に推測されます。この1年を振り返り、あの時はこうすればよかったなどと反省する点は多々ありました。ときわ会グループとしてこの成績に決して満足することなく、一人でも多くの透析患者に安心安全な透析医療を提供できるように切磋琢磨したいと考えています。
いわき市ではまだまだ余震が続き、原発事故の終息の時期も不明です。こうしたなか、いつ再び昨年の震災時と同じ状況が起こるとも限りません。さらに首都圏直下型大震災の発生が近い将来危惧されています。そこでときわ会グループの各透析施設では、災害に強いシステム作りに着手しており、また近隣地域の災害時には、透析患者を積極的に受け入れられるように常時準備していきたいと考えています。
ときわ会グループでは、スローガンである『笑顔とまごころ、信頼の絆』を合言葉のもと、今後も、よりよい透析医療を提供できるよう努力していく所存です。皆様には、今後とも変わらぬご指導、ご支援を賜りますよう、心からお願い申し上げます。
MRIC by 医療ガバナンス学会