福島県南相馬市・大町病院から(7) 君死にたまう事なかれ

提供元:MRIC by 医療ガバナンス学会

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公開日:2012/06/19

 


南相馬市大町病院
佐藤 敏光

2012年6月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行

※本記事は、MRIC by 医療ガバナンス学会より許可をいただき、同学会のメールマガジンで配信された記事を転載しております。

南相馬市大町病院の佐藤です。

入院患者数は59名となりました。6月から定床が70床から80床に増えました。全国から看護師さんたちが大町病院に来てくれるようになりました。遠くは大阪から来てくれた看護師さんもいて、関西弁?で明るい会話も聞かれるようになりました。

定床数は増えましたが、入院患者は増えていません。恐らく急性期に対する病床がほぼ充足されてきたのだと思いますが、逆に慢性期や介護ベッドの病床が足らず、いわゆる医療難民が増えつつあります。本院も以前のようなケアミックス型の病院に戻したいのですが、新たに(療養)病床を開設するにはまだ看護師数が足りません。

最近『クローズアップ現代』で急性期病院から退院させられていく患者が取り上げられていました。どこの地方でもあり得ることかと思いますが、少なくとも「救急車を呼ぶな」とは言わないようにしています。むしろ「具合悪くなったらすぐ来るように」と指導しています。そう言っておいた方が家族の安心を呼ぶからです。また、本院は退院勧告は医師から行います。在宅へのサポートは看護師も行いますが、ストレスの多い退院勧告や支払い請求などは看護師から言わせるべきではありません。

今病院で困っていることは、赴任してくれる医師(6月から消化器科に慈恵会医大の医師が赴任してくれました)や全国から来てくれている看護師さんたちの住まいがないことです。看護師さんには空いている(産科と介護ベッド)病室を使ってもらっていますが、これも当初は当局?からまかり成らぬと言われましたが、事務次長が何度も折衝し許可されたことです。恐らく市立病院などでも困っていることかと思いますが、住居ほど『攻め』の施策が必要です。2年後と言われる仮設住宅からの住民の居住先としても抜本的な住居の建設が必要です。いっそのこと空間線量の低い海沿いの土地を8割で
はなく10割で買い上げ、3階以上を居住空間としたマンションを造ったらと思います。(津波に遭った人は同じ場所には戻りたがりません。昨年までは津波に襲われた土地は二束三文にしかならないと嘆いていました。)

赴任してくれた医師も家族を呼んでまでとは考えてはいないようです。放射能のリスクがいくら下がったとは言え、小さい子どもの家族を住まわすほど安全だとは言えないということです。患者さんも有り難いとは感じながらも、東京から来てくれた医師に、本心を語ることはありません。

長く南相馬に留まってくれる(永住してくれる?)ようにするには家族を近くに呼ぶしかないと思います。多くのMRさんがやっているように、(会社で)仙台のマンションを借り上げ通勤してもらうようなことを考えていかねばなりません。26年度と言われる相馬以北の常磐道開通が待ち遠しく感ぜられます。

短期出張のためのホテルも南相馬や相馬は常に満室です。原町火力発電所の復興や除染作業のために多くの作業労働者が全国から集まってきてきているためです。時々病院にも地元の病院から出ていた薬をと来院するようになりました。長期処方を希望されるので住所を見なくても分かります。

原町火発の復興は見違えるようです。あっと言う間に鉄塔が立ったと思ったらその1週間後には送電線が張り巡らされていました。送電線は南の福島第一原発のほうに向かっていました。原町火発は東北電力の施設です。でも送電線は今後住めるか分からない南の方を向いているのです。復興、復興と言っても地元のためと言うよりは原発事故収束(これはある程度仕方がないが)のために行っているようなものです。

最近救急車で高校生が過換気症候群で運ばれてきました。小高区にある高校で原町高校にあるサテライト高に通っているのですが、親は郡山で別に生活しており、親元から離れて通学する生徒は市内の旅館に寄宿し、(教師ではない)高校職員と一緒に生活していると。たまたまもう一人の生徒が居なくなったときに発症した過換気でした。今回2回目ということで、翌日心療内科の先生に紹介しましたが、旅館が寄宿舎として使われていることなど、南相馬の住宅事情?の異常さを知らされる一件でした。

過呼吸もストレスを発散できない症状の一つですが、自殺者が増えてきていることも否定できません。最近は小高区の住民の自殺がありました。
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/06/post_4175.html

この4月16日に小高区が避難区域が解除となり、自由に立ち入ることができるようになりました。ただ、上下水道は使えないのでトイレは使えず、ゴミ収集は行わず、仮設住宅まで持っていってもだめとなると長くは居られません(そのためか夜間居住禁止となっています。)本院にも小高区に居た職員がいますが、家の中はネズミの糞やクモの巣で住める状況ではないと。私も物珍しさも手伝って小高区を見てきましたが、今も海となっている井田川地区や、市内の崩れた建物など、復興の始まった宮城や岩手とは明らかに違う風景をみることができます。(住民の人は快く思いませんが)是非野田首相や大飯町の住民に見てもらいたい、家族で来て貰っても良い、この海となった底に何人かの人は沈んでいる、その屍を探せないのはあの原発のためなのだと。

原発のために命を落とすことは無駄です。それで政策は変わりません。病院に来ない人たちが少しずつ将来に希望が持てなくなって命を落としていくことが心配です。

MRIC by 医療ガバナンス学会