学会発表を通じて考えた、医学生の学ぶべきもの

提供元:MRIC by 医療ガバナンス学会

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公開日:2012/07/03

 


慶應義塾大学医学部医学科二年
岡田 直己

2012年6月29日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行

※本記事は、MRIC by 医療ガバナンス学会より許可をいただき、同学会のメールマガジンで配信された記事を転載しております。

 4月14日、私は大阪国際会議場にいた。所属する学生団体「医師のキャリアパスを考える医学生の会」を代表して、第30回臨床研修研究会で発表するためだ。議題はシームレスな医学教育。楠岡英雄・国立病院機構大阪医療センター院長を会長に、全国の病院の臨床研修部長たちが参加する。
私にとって、今回は初めての学会発表だ。何回も予行演習を行ったのだが、当日は極度に緊張し、発表は満足のいくものとはならなかった。しかしながら、400人以上の人が自分の話に耳を傾けてくれる中、自分の考えを伝えるという経験は、普段の学校では得ることができない貴重な経験となった。

この発表を準備するにあたり、考えたことがある。医学教育は、このままでいいのだろうか。私は、現在の教育システムでは、医学以外の教養や直接的な体験が足りないと感じている。

自分は医学部の二年生をしており、毎日9時から17時まで淡々と授業を受け、知識を詰め込んでいる。授業後にはバイトや部活(私はアメフト部に入っている)があるものの、夜は課題に追われ、また翌朝を迎えている。もちろん立派な医師となるためには莫大な知識が必要であることは重々承知している。しかしながら、狭い教室に押し込め、ブロイラーのように医学知識を詰め込むだけでは、良い医者は生まれないだろう。

以前から、私なりに模索を続けてきた。その素直な気持ちと、今までにしてきたことをこの学会で発表した。

例えば、在宅医療の現場に飛び込んだことがある。先輩医師に紹介され、尼崎の長尾クリニックを訪問した。院長の長尾和宏先生は強烈な個性の持ち主だ。尼崎の高齢患者の在宅診療に従事する傍ら、朝日新聞アピタル等で情報発信に努めている。

長尾先生の診療を見学したとき、何かとても大事な気持ちが私の中に湧き出してきた。以下長尾先生と、とてもさばさばした60過ぎぐらいのおばあさんの患者さんのやり取りをご紹介しよう。

長尾先生「もうお墓の手配できたか?」
患者「はい、先生のおかげでもう葬式の準備も終わってあとは死ぬだけです。」

一見医師としてはあり得ないこの発言と、これまたあり得ない患者の返しを聞いて、医師と患者にどれだけの信頼関係があればこのような会話ができるのだろうかと感心した。「病気ではなく人を診るとはこういうことか」と感じた。一体、どんな経験を積めば、長尾先生のようになれるのだろうか。

医師に必要なのは患者との信頼関係だ。思い立ったらすぐに行動しなければならない。私は、ホテルリッツカールトンでアルバイトすることにした。お客様との信頼関係を第一にするサービス業の現場を経験したかったからだ。ここでも貴重な経験をすることが出来た。

例えば、お客様はもちろん、給仕からも見えない、椅子のそこに付いた汚れを見落としてマネージャーに激怒されたことがある。或いは、アメフト部の試合でついた額の傷を、「顔に傷のあるウェイターをお客様がご覧になったならばどうお思いになる?帰ってくれ!」と注意されたこともある。実際、客は給仕が考える以上にホテルの裏側の雰囲気を感じ取っている。この状況は病院にも通じるだろう。患者がいる診察室からは見えない場所が散らかっており、スタッフが患者の陰口をたたくような病院には、患者は二度と来ないはずだ。

以上のような事例をご紹介すると、会場からいくつかの意見を頂いた。中には「授業で受動的に知識を与え続けるだけでなく、ホテル業務は是非医学生にさせるべき」といってくださった方もいた。半分はリップサービスではあろうが大変嬉しかった。

自分の今受けている医学教育だけでは足りないことは確かだ。医学生として学ばなければならない何かがある。おそらく、学校の授業だけでなく、インフォーマルな活動も必要に成るだろう。ただ、具体的にどうしていいかわからない。試行錯誤を繰り返すしかない。そのためには、自由に使える時間と情熱が必要だ。

学生であるがゆえに、目の前の仕事のためにのみ生きなくてもいい。今こそ出来る、一見不必要にもみえるこのような経験が、実際は将来医師になる上でとても大事なのではないだろうか。地道にやっていきたい。

MRIC by 医療ガバナンス学会