相馬中央病院 副院長
小柴 貴明
2012年8月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行
※本記事は、MRIC by 医療ガバナンス学会より許可をいただき、同学会のメールマガジンで配信された記事を転載しております。
被災地 相馬市にある相馬中央病院周辺には、心の風邪に罹った患者さんが多い。風邪の程度は、軽いものから、かなりの重症まである。こういった患者さんは、診察室に入って来られた瞬間の表情が、どこか違う。うつむき加減で、来られる患者さん。険しい表情の患者さん。落ち着きのない患者さん。
私は、仙台市の精神科医の友人から、相双地区から、多くの心を病む人が診察に来られるとの話を聞いた。震災以後、相双地区には、相当数の心を病む人がいるにも、かかわらず、そのような患者さんを専門に診る医者がほとんどいないのだという。このような、事情から相馬中央病院で、不眠や、不安、不定愁訴を訴える患者さんに、私は臓器移植やHIV感染症に携わってきた臨床医、研究者でありながら、精神科医のアドバイスを受け、心理医学療法を開始した。この仕事を始めようと考えた一つのきっかけは、あるサイコセラピストから、教わった、とても興味深い話。人の感情には、楽しい、うれしいなどのポジティブな感情と、悲しみ、怒り、恐怖などのネガティブな感情がある。人は、ポジティブな感情は、机の上に、ネガティブな感情は整理もせず、引き出しにしまってしまう。例えば、職場で嫌いな人への怒りを抑えなければ、人間関係に歪が入ったりする。しかし、ネガティブな感情をあるとき、敢えて引き出しから出して、整理する必要があるというのだ。ネガティブな感情を自分でも気づかないでいる人すらある。いつまでも、ネガティブな感情から逃げるのではいけない。自分のために認めてあげることで、病んだ心は少しずつ和らぐのだと、そのサイコセラピストは言う。仙台の精神科医の友人も、同意見であった。
私は、最低30分の時間をかけて、心の風邪に罹った患者さんの机の引き出しを開き、封じ込まれたネガティブな感情を患者さんに認めてもらうように、努めている。
7月25日は、朝9時から、夕方6時まで、昼食を取る間もなく、診察に来られる患者さんに、心の引き出しを開いて頂いた。そうして、新たなことに気付いた。受診される患者さんは、50代以降の高齢者。多くの人は、懸命に何十年もの間、悲しみ、怒り、恐怖 (例えば、幼少期の嫌な思い出、苦痛な人間関係) と戦ってきた。しかし、3.11 が起きて以降、これまでの長年の我慢の糸がプツンと切れてしまい、ついに心の病気となってしまったかのように見える。この世に生を受けた全ての人は、死を迎え永遠の休息を得るまで、必ず何かの苦悩を抱えて生きている。実に、3.11は、被災地の全ての人々の苦悩に、大きな追いうちをかけていたのだ。
診察を受けられた患者さんには、家族、家が津波に流された人、仮設住宅に移って何時になったら元の家に戻れるかわからない人、仕事を失った人がおられる。
私が封印された感情を引き出すと、多くの患者さんが咽び泣かれた。そして、この日、私の外来についてくれた 寺島和美看護師も、また、患者さんと一緒に涙を流した。はたして、患者さんの引き出しにしまわれていたネガティブな感情とは、なんだったのか?悲しみ?否。
怒り?否。
恐怖?否。私には、そのどれでもなく、もっともっと深遠なもの。言葉で表すことのできないほどの激しいものではないかと思われた。くたくたになって、帰宅してベッドに入った。しかし、その夜、私は、長時間にも亘る壮大な悲劇的シンフォニーを聞いたような興奮で、眠られぬ夜を過ごした。
翌日、寺島看護師は、私に点滴を勧めた。彼女も同じく、眠れなかったという。彼女は細やかな心遣を、患者さんにだけではなく、私にも向けてくれた。点滴の最後の一滴が落下したとき、元気を取り戻した私は、彼女にこう言った。
「私たちが、患者さんと共に、肩を落としてはいけない。私たちは、医療のプロ。咽び泣く患者さんは、不幸な人ではない。これから、立ち上がろうとする挑戦者。長距離ランナーが、疲れて、しばし道端に座りこんでいる。私たちは、懸命に生きる挑戦者たちと、ここでまた懸命にともに生きる。」
その瞬間、私と同じく、睡眠不足で疲れきった表情をしていた寺島看護師の眼が、突如、キラッと輝いた。
これからも、被災地の人々と、医療スタッフの果敢な挑戦は続く。