第10回「消された記憶」
「認識する」とはどういうことか、それは目の前の物事を予め用意されたメンタル・イメージ(心像)と照らし合わせることで行われます。過去に様々な情報の中から蓄積されたイメージをもとにその対象を認識するのです。私たちはあらゆるものの判断を心像で行ないます。しかしその大事な情報が常に正確に均質に伝えられているとは限りません。予め用意されたイメージが誤ったものなら、当然認識も誤ります。生薬についても然り、事前に与えらたイメージが正しくなければその薬能を正しく認識することは出来ません。
第11回「ルージュの呪縛」
ルージュ、言わずと知れた「口紅」のことです。しかし、rougeはフランス語で本当は「赤」という意味です。東洋医学における四診「望聞問切」、その第一歩である「望診」においても唇の色の観察は重要で、誰でも簡単に始めることが出来る診察方法です。しかし…、ルージュというものがあるくらいですから、時には見誤ることもあるでしょう。
さて、そもそも四診と呼ばれる診察方法、どうして四つの手段が用意されているのか。もちろん「ひとつだけでは判断を誤ることがあるから」に違いありませんが、それではなぜ望・聞・問・切の順番なのでしょうか。
東洋医学の診察方法が西洋医学のそれと異なることだけに気をとられてはなりません。大切なことは「それがどんな意味をもつのか」という点であり、「なぜその順番なのか」を考えることが重要なのです。
第12回「寡黙な案内人」
生薬の重ね合わせにより目的を達成しようとする漢方薬。配合される一つひとつの生薬にはそれぞれ薬能と薬性があり、その合算が処方全体の適応を決めることはどの処方においても共通の原理です。そして、そこには集合体である処方の方向性を決定する上で重要な鍵を握る(周りの協力を得ながら先導するいわば案内人のような)生薬があります。
第12回はジャンルを超えて活躍する生薬のひとつ、「芍薬」にスポットをあてます。この芍薬が、それぞれの処方においてどのような薬能を期待され配合されているのか、あるいはなぜ配合されないのか、配合されない理由は何か。その意味についてじっくりと考えていきます。