「現場を離れ、もう臨床医には戻れない。不退転の覚悟で挑む大きな医療政策とは?」衆議院議員・松本 尚氏インタビュー(後編)

提供元:ケアネット

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公開日:2021/12/22

 

 新型コロナウイルス感染症が社会を覆い尽くしたこの2年。世の中の常識や既定路線にも大小の揺らぎが生じ、来し方行く末を考えた人は少なくないだろう。今秋の衆議院選挙で、千葉県の小選挙区において初出馬ながら当選を果たした松本 尚氏(59歳)は、救急医療(外傷外科)専門医であり、国内のフライトドクターの第一人者としてその名前を知る人も多いはずだ。34年の医師のキャリアを置き、新人代議士として再出発を切った松本氏に、キャリア転換に至ったいきさつや、医療界と政界それぞれに対する思いや提言について伺った。

 「コロナ禍、僕がいるべき場所は医療現場でも地方行政でもなく、国会だった」衆議院議員・松本 尚氏インタビュー(前編)はこちら

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――医療政策を考える際、課題は医療界と政界の乖離。両者が協働する上ではコミュニケーションが不可欠だが?

 そこには結構難しい問題が横たわっている。今回のコロナ禍でも、それが浮き彫りになった。新型コロナについて専門的知見からの分析が必要になり、多くの“医療者”がさまざまなメディアに出て発言した。もちろん、言うべきことをきちんと弁えている人もいたが、中にはテレビなどに出ること自体に舞い上がってしまっているような人もいたのではないか。そこに関して、僕はコロナ禍以前からメディアの取材を受ける機会が多かったので、ニュートラルに話すことができたが、それは意識的にやらなければならないこと。とくに感染症という限定的な領域で白羽の矢が立ち、メディア取材に慣れていない医療者は、なおさら意識的に注意しなければならなかったと思う。

 重要なのは、その発言内容はコンセンサスが得られていることなのかどうか、というところだろう。コンセンサスが得られている内容であれば、メディアを問わず、テレビだったらどのチャンネルでもおおむね同じ内容が伝えられないとおかしいはずだが、実際は人によりてんでバラバラ。ということは、個々人がそれぞれ自分の考えを聞かれるままに述べているだけということになる。それは、あなたの個人的見解なのか、多くの医療者の一致した見解なのか、そこを明確にしなかったのが問題だ。

 一般の人は、メディアが伝えることを拡大・誇張して聴きがち。結局、どれが正しいかもわからない。だから医療者側にもコミュニケーション上の問題があったと思う。取材の中には、個人的見解を問われる場合もある。しかしその場合でも、コンセンサスが得られている情報と切り分けるために、「あえて言うなら、これは自分の意見だが」と繰り返し断りながら、誤解を生じさせない意見の出し方を工夫していかないと、間違った話がひとり歩きしてしまう可能性がある。

 コロナ報道を巡っては、アカデミアの先生方もそれぞれの意見を述べていたが、学問としてはそれでよいのかもしれない。ただ、これも臨床医と同様で、学問的な論戦を公の場に持ち込んでも、世間は学問としてはみてくれない。コンセンサスが得られていない学問的主張を公のメディアに持ち込んでも、その情報の精査は一般の人にできない。そこを切り分けない主張が、今回のコロナ禍で散見されたのは確かだ。

 自戒も込めて医療者側の課題を挙げるなら、そこにあると思う。医療界から一歩出たところでのコミュニケーションでは、その専門性を前面に出すべきではない、ということに尽きる。専門家というのは、一般の人に伝えるべき情報と専門家の中で議論すべき情報を取捨選択できるのが本物だろう。そこを切り分けずに皆が各々主張するものだから、情報の混乱が起こった側面がある。テレビなどの情報量が限られるメディアでも、専門的な用語の羅列に終始している人もいたが、その時点で視聴者は、理解できずに「専門家が何か難しいことを言っている」という受け止めでしかない。最後に頭に残っているのは、何もわかっていないコメンテーターの薄っぺらな感想だけ。そんな報道を繰り返しているメディア側にも確かに問題はあった。

 政治家とのコミュニケーションについても同様だ。感染対策を医学的側面だけで考えれば、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の専門家たちが提唱してきた、人の流れをとにかく抑制するということは間違っていない。しかし、社会的側面を考えると、その一本鎗だけでは経済は回らない。人の流れを抑えつつも継続し、その上でどう感染制御するかを考えるのが肝要。結局、政治家たちは医学的知見に対し何も抗弁できない。だがそれは、政治的には健全なコミュニケーションの在り方ではない。

 私の役目は、相反する両者の意を汲んで落としどころを見つけること。先生方から医学的知見を聞き、政治家たちには「先生方はこういう理由でこのように言っているので、ここまでは我慢が必要です」とかみ砕いてポイントが伝えられる。いわば「接着剤」として、僕が媒介できる存在になりたい。今後別の何かが起こっても、国会議員の中にそういう役割ができる人がいなければならないと思うし、次に何が起きても対処できるよう、あらかじめルールを整備しておくことの重要性は、コロナ禍を通じてより明確になった。僕は議員なので、「ロー・メーカー(立法者)」としてルールを作ることが、これからの自分の責務だと自覚している。

――これから代議士として目指すところは?

 いつどこで国民が健康危機に見舞われても、しっかり対応できる医療体制を作ることが、ロー・メーカーとしての僕の役目。法だけでなく、有事に1つの方向に進んでいくためのルールや組織体、そういうものを作りたいという思いがある。

 日本の医療界というのは、「モザイク状態」と表現すべきだろうか。医師会があり、病院団体があり、各々の病院の運営母体も私立があれば公的もある。大学もまたしかり。そうしたモザイク状態が、たとえば今回のようなコロナ禍に直面すると、機動的にヒト・モノが集められなかった。せめて、非常時であるという認識を皆が持った時、医療全体が1つにまとまって、同じ方向に進んでいくためのルール、組織体を作りたい。それがあれば、国がどんな状況に陥ろうとも、国民の健康だけは守れるようになるのでは、また、そうならなければならないと考える。それが今、僕が代議士としてやるべき究極の仕事だと自覚している。もちろん、小選挙区から選出された以上は、地元の暮らしや人々のことも疎かにはできない。しかし、最終的に目指すのはそうした国全体を包括した医療の仕組み、枠組み作りのところにあると思う。もちろん大きな構想なので、1期では完遂できないことも承知している。そうなると、大事なのは次の選挙でも勝つということ。衆院議員は、任期満了すれば4年だが、いつ何時、解散総選挙ということになってもおかしくない。極端に言えば、明日解散、ということもあり得る。しかし、僕は来年で60歳になる。そこから先、どんなに頑張っても10~15年が活動の限界だろう。その間に何度選挙があるかわからないが、自分の年齢に照らした限界を見据え、そこまでには何としても形にしなければならないと思っている。

――朝の辻立ちなど、代議士の活動は独特。医師時代とは大きく違うのでは?

 今朝も、地元で辻立ちをしてから永田町へ来た。毎日この繰り返し。だが、決して無理しているわけではない。選挙に落ちれば、その瞬間から僕は1人の私人。一度現場を離れた以上、臨床医はできないという覚悟で臨んでいる。それでも、代議士として自分がどうしても成し遂げたい仕事があるから、それを達成するためであれば、寒かろうと暑かろうと辻立ちするし、どんな人にも頭を下げる。強がりではなく、まったく苦にならない。それくらい腹を括って決めたことだから。


――なぜそこまでして代議士なのか?

 国のために仕事がしたかったから。どんな理屈や理由を考えても、最後はそこに尽きる。最後は国のために尽くしたい、貢献したいという思い。それを実現するための入り口は、僕の場合は医療ということになる。現場は離れたが、医療を通じて国に貢献したいという思いは強くある。

――医療界を統治する仕組み作り、かなり壮大だが?

 これまでの話でも、「コンセンサスの重要性」がキーワードだったと思うが、例えば、国家的有事が起きた時、医療界のさまざまな組織・団体の人たちのコンセンサスを得た、ある1つの「組織体」の下に結集する。さまざまな団体の壁を超え、一段高いところにある組織として、政府とも協議し、あらかじめ決めたルールに従って国民全体の医療体制を提供していく、そういうイメージを思い描いている。今はそういう構想を僕が持っていることを周りに知ってもらい、仲間を増やしていく段階。そこで知恵を集め、どんなメンバーが必要で、どんな「組織体」が良いのかを具体的に議論していきたい。その地道な積み重ねの先に、大きな医療政策の実現があると信じている。

 今は、政府も国民もコロナが最重要懸案という共通認識を持っている。こういう時こそ、政策実現に向けた第一歩を進めるチャンスだと思う。この状況が落ち着いて来ると、問題意識の在り方も変わってくる。「喉元は過ぎたが、まだなお熱い」ということを、何度も繰り返し伝えていかなれければならない。そこを訴え続けるのも代議士の重要な仕事だろう。

 コロナワクチン1つとっても、国民への説明が足りていない部分が多くあると感じる。追加接種がもっぱらの話題だが、その必要性を疑問視する人も多くいる。高齢者はリスクを自覚して積極的に接種する人がほとんどだが、30~40代でも懐疑的な人は一定層いる。若い世代となれば、副反応が怖くて打たないという人も多い。もう少し、そこは踏み込んだ説明と後押しが必要だと感じているし、それも僕に課せられた責務だろう。<了>

(聞き手・構成:ケアネット 鄭 優子、金沢 浩子)