米国アリゾナ州に住む女性、Shelley Davisさんは、夫のGregさんや13歳と15歳になる娘たちとともに、1週間分の着替えや水着、日焼け止めなどの荷造りをしていた。彼女たち一家は1週間のクルーズ船の旅を目前に控えていた。
フロリダ州の港町に移動し、船に乗る日の朝は出港までの間、一家で日差しの中を散策した。やがて時間になり、クルーズ船ターミナル行きのバスに乗ろうとした時、Shelleyさんは頭痛を感じた。ターミナルに到着して乗船後に彼女は、横になるために自分たちの部屋へ直行した。夫のGregさんは、娘たちと船内を一巡。そして、「部屋に戻った時、妻はとても具合が悪そうにしていた」と話す。
それでもShelleyさんは、救命胴衣の着け方の講習を受けるため、メインデッキで家族と合流した。講習が終わり次第、看護師を探すつもりだった。Gregさんは、妻に話しかけても「Yes」か「No」しか言わないので何かおかしいと感じ、「あなたの名前は?」と尋ねてみた。Shelleyさんはまた「Yes」とつぶやいた。「あなたの名前を教えてください」とGregさんが重ねて問うと、彼女はただ夫を見ているだけだった。
Gregさんは直ちに助けを求めに走った。クルーズ船の医療スタッフは、Shelleyさんを船内の診療所に誘導した。診察の結果、高度な医療が必要な状態であると分かった。幸いにも船はまだ停泊中だった。救急車が要請され、Shelleyさんは最寄りの病院に搬送された。救急治療室に到着するまでに、彼女の顔の右側は垂れ下がり、右半身を動かすことができなくなっていた。
Shelleyさんの職業は作業療法士であり、普段は脳卒中後の人々の回復をサポートしていた。しかし当時46歳だった彼女はそれまで、自分自身が脳卒中になると思ったことなどなかった。
検査によって、頸動脈の層が解離して脳への血流が阻害されていることが明らかになった。解離した箇所で血流が100%遮断されていた。より高度な治療を行うため、彼女は近くの専門病院に空輸された。「病院到着時の彼女は生死の境目にいた」とGregさんは語る。医師から、救命できる確率は20%との予測が伝えられた。
脳への血流を回復するために緊急手術が行われた。脳卒中のより詳細な原因は、線維筋性異形成という、まれな疾患によるものであることが分かった。
カリブ海の島々を巡りながら船上生活を楽しむ予定だった1週間は、集中治療室で過ごすことになった。ただ、彼女は自分が生きているのは運に恵まれた結果であることを理解していた。「目が覚めたとき、右腕を少し動かすことができたのを覚えている。私はそれが脳卒中後の回復にとって良い兆候であることを知っていた。船が港を出た後ではなく、停泊中に発症したという幸運に感謝している」と彼女は話す。
手術は長い回復過程の最初のステップに過ぎなかった。彼女はアリゾナに戻り、外来治療を数カ月続けた。右半身の筋力は戻ったが会話は依然として困難で、人とのコミュニケーションを取る際には家族の助けが必要だった。「家にいて電話が鳴ると、とてもイライラした。買い物に行くことはできたが、欲しいものを店員に注文することができなかった。それらの体験が、より多くの会話訓練を行うよう私を駆り立てた」。
2015年に脳卒中を発症してから3年後、Shelleyさんは仕事に復帰。脳卒中サバイバーが日常生活を送るためのトレーニングを支援し始めた。彼女は、彼らのやる気を引き出すために、自分の体験を話すこともある。「私の患者は、できるだけ早く完全に回復したいとの願いのために、イライラしていることが多い。しかし私は、回復のためには、1日1日少しずつ前進していくしかないことを知っている。私自身、今でも徐々に会話力と筋力が改善してきている。自分が医療提供者であり脳卒中サバイバーであるために、他者にない視点を持つことができる点は素晴らしいことだと感じている。なぜなら、患者に共感し、かつ、回復が可能であるという事実を、自ら示すことができるからだ」とShelleyさんは語っている。
[2023年4月11日/American Heart Association] Copyright is owned or held by the American Heart Association, Inc., and all rights are reserved. If you have questions or comments about this story, please email editor@heart.org.